船底の記憶2014

船底の記憶
瀬戸内国際芸術祭2013 / 宇野港に恒久設置

制作プロセス 

① 不要になった色々な鉄製品を玉野市内で集め、叩いていく。
② これらを錨、プロペラに取付け、海の中でさまざまな成分が「こびり付いた」イメージを作る。
③ 高松港や玉野市内でワークショップを催し、ここで作られたものを作品に取り付け、増幅させる。

コンセプト

島々で暮らす人々と訪れる人々。双方の交流によって成長する彫刻を作る。
これは会期の終了が作品の終了ではなく、スタート地点と設定するプランである。

私は鉄の道具作りを生業としている。その過程で「そもそも、道具とは?」という自問自答がついてまわる。 人々はさまざまな道具を使い、暮らし、消費する。生活を営む土地の風土によって必要な道具は異なり、進化し、固有の歴史と記憶を孕んでいくものだ。
往々にして、道具の寿命は短い。機能が欠けた時点で、道具は道具でなくなるからだ。例えば自動車。車輪がひとつでもパンクすれば、それは乗り物としての使命を果たせなくなる。例えば技術を駆使して精密に組まれたコンピュータ。ちょっとしたホコリで使い物にならなくなる。

堅牢な素材とされる鉄ですら、例外無く寿命は訪れる。錆びる、曲がる、穴が空く…頑丈な金物が用途を果たせなくなる要因はいくらでもあるものだ。そういった脆さのなかで、長く不変であり続ける事とは?
鉄が鉄であるということである。曲がっても、穴が空いても、溶かしても、それは鉄のままであり続ける。錆びて風化しても消えたわけではない。どこかに鉄分として存在し続ける。このような視点からモノを捉えると、そこには素材(=自然物)としての強度があることに気付く。

ここ瀬戸内海の島々には、この土地ならではの道具たちが多く存在し、それはそのまま土地の風景として個性を放っている。その中で、役目を終え、雨ざらしになった「元・道具」たちに着目した。職業柄、やはり鉄のものに目がいく。これらは人工物なのか、それともすでに自然物なのだろうか?ここから作品制作が始まる。

まずは島々を訪れて「元・道具」たちをたくさん集める。そしてこれらを熱して叩いて、機能を排してしまう。この作業で産まれた「ただの鉄=自然物」を、巨大なプロペラや錨に付着させていく。近付いて見ると、そこにはさまざまな道具のシルエットがあたかも化石のように存在している。道具として使われてきた「人の記憶、街の記憶』もまた、不変であると気付かされる。そして支持体となる巨大なプロペラや錨には、長い航海の果てに数えきれないほどの「海の記憶、世界の記憶」がこびり付いている。いわばそれらは、この地に訪れる旅人=芸術祭への来場者とも解釈できる。
迎える者(現地の方々)と訪れる者(来場者)、双方の記憶を宿した彫刻が産まれる。

夏期の展示期間中は、高松港や玉野市でワークショップを催し、現地で集めてきた元・道具たちを参加者に叩いてもらう。叩かれた鉄たちは宇野港の彫刻へ取り付けられ、そのヴォリュームを増幅させていく。島への来訪者が制作プロセスに関わることで、鑑賞者が関係者となり、「現在の記憶」が追加される事になる。
願わくば、賑わいの時期が去った後も島の方々の手で育てられ、長く愛され続けて欲しい。常に呼吸をし続ける鉄という素材は、時間の経過と共に表情を変えていくだろう。