鉄を作る

大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ 2009

鉄という素材は、それの持つ堅牢さと優れた加工性から、多くのシーンで活用されている。時に建築や乗り物の骨格として、時に生活へ利便性を与えるものとして、時に武力として。その活用範囲の広さは、鉄が「道具」として文化へ大きな影響をもたらしてきた裏付けとも言える。
では、「道具」とは何だろうか?
もとをたどれば石を割ってナイフを作り、土を盛って水を蓄えたところに道具の原点を見る事が出来る。つまり、道具とは「素材に機能や構造を与えて成り立つ」と言えるだろう。それならば、道具から機能を取り去った時、そこには何が残るのだろうか。

素材+機能=道具 ならば、 道具-機能=素材?

モノづくりのプロセスを逆行していく試みである。
検証として、さまざまなスチール製品を赤熱し、ひたすら叩き続ける。1000℃を越える高温のなかでメッキや塗装は剥がれていく。何千、何万と金槌が振り下ろされ、機能や構造は失われていく。人の手で作られた鉄製品から人為的な要素が取り除かれ、素材は丸裸になっていく。それは無機質で無言な物質でありながら、躍動的で生々しい。純粋なただの鉄がそこにあった。

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ここ越後妻有の地にも、古くは鍛冶仕事で作られた農機具をはじめ、さまざまな場所に鉄が用いられてきた。道具たちは、この地の水と土をふんだんに含み、厚く錆を身にまとう。その様はすでに人の手を離れ、大地へ還元されようとする素材の姿ではないだろうか。しかしこれらは単なる鉱石に戻る事はできない。制作者や使用者の手を経てモノは何らかの痕跡を残し、人は記憶を宿すからである。私はこれらに鎚を入れ続け、大地の営みと人々の営みが重なり合う場を作る。廃校に残された様々な痕跡と共鳴することを願って。


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