鉄の道具を、真っ赤に熱して柔らかくする。
金槌でひたすら叩き、ぺちゃんこにしていく。
加熱された痕跡は、素材の体温。
叩かれて波打った表情は、素材の脈拍。
均一な形だった工業製品が個性を持ち始め、生物のように有機的な姿となる。


…という手法を編み出したのが20代の頃。そして気付けば20年経ちました。長年やってると道具叩きが当たり前になりすぎて、うっかり初心を忘れてしまったり、バリエーションが増えて思考が散らかってしまう時があります。なので一旦これまでの経緯を整理して、文章化しておこうと思います。これから出会う人への自己紹介も兼ねて。

鉄での作品制作はもっと前からやっていたのだけど、自分のイメージ通りにしかモノが出来上がらなくて、ちょっと退屈してた頃がありました。これは単に見識が狭いだけで、インプット(いろんなものを見たり経験したり)が足りないとそうなる…というのは今だからわかる事です。そんな時期に、ひとつ一斗缶を捨てる為に、小さくしようと金槌でグシャッと叩いた事がありました。目の前に現れた物体は、自分の知らない謎の形。丸でも三角でも四角でもない奇怪なフォルムが面白くて、今度は使い切ったスプレー缶をかき集めて全部叩いてみました。そうすると、元々同じ形だったスプレー缶がひとつひとつ違う輪郭になり、違うシワが産まれるわけです。まぁそりゃそうだと納得しつつも、これまでの退屈感を抜けられる気がして、日常生活で鉄の廃材が出るたびに、とりあえず潰してみることにしました。

この時点では作品というより単なるお戯れだったのだけど、程無くして展示会のお誘いが。会場は代官山のオシャレな北欧家具屋さん。そこにスクラップを叩いただけの物体を出しちゃおうか…いやいやマズいだろう…興味と怖さの間で揺れながらも、結局興味が勝って初出ししてみました。そこで上々の評判をもらえて勇気が湧いて、これはいっちょ本腰入れてやってみよう!と。
「まずコンセプトやメッセージがあって、それを表現するために作品を作る。」
というのが表現者の正攻法だとすれば、僕の道具叩きは順番が逆だったんです。先に手を動かし、後で自分のした事は何だったのか?を検証し、言語化していきました。

正攻法とは逆と言ったけど、考え無しに動いて何かやらかして、誰かに怒られるタイプだった人は共感してくれるかも?

飽きっぽい自分でも続けてこれたのは、発表する場にバリエーションを持てたからです。ギャラリーのような作品のみが存在する空間だけでなく、商業空間、公共空間、オフィス、保育園、個人邸など、様々な場所で展示や設置をさせてもらい、これは本当に幸運なことでした。シチュエーションが異なると、制作のプロセスは似ていても、重点を置くポイントが変わってきます。材料集めが最重要な時もあれば、表面仕上げが最重要な時もあります。場に応じてチューニングを変えることが、結果的に長く続けられる秘訣になりました。

色々やった中で特殊なチューニングをひとつ挙げるならば、瀬戸内国際芸術祭で作った「舟底の記憶」です。公開したのは2013年ですが、設置を制作のゴールではなくスタート地点としています。成長する彫刻と銘打って、定期的に現地を訪れ、みんなで鉄を叩き、作品に溶接していくプロジェクト。恒久設置というよりは恒久制作の作品で、できるだけ長く続けていくことに重きを置いてます。設置から8年経ちましたが、地元の方々のサポートのお陰で今も恒久制作は続いています。


・叩いた「だけ」の作品は原点。形を作るのではなく探すことに徹する。
・再構築した作品は応用編。原点を活かし、新たなイメージを作り出す。
こんな具合に、鉄叩きシリーズをスッキリと分類できるようになりました。

・左の写真は潮見のホテルに、造船にまつわる鉄の道具を叩いた作品。
・右の写真は金沢のホテルに、現地で集めた鉄の道具を叩いて、松の木に再構築&表面に金箔を貼った作品です。
偶然にも同時期に異なる場所に、原点と応用編、それぞれを突き詰めた作品を設置してきました。ふたつ並べると、方向の違いがくっきりと見えてきます。

熱して叩くというのはとても単純な行為ですが、どれだけ熟練した作り手でも、コントロールし切れない部分が必ず存在します。そこに自分以外の何かが入り込む余地があるんじゃないかな、と。例えば予想外の形や色だったり、経年変化だったり、他者の手だったり。道具叩きをやってきた20年を振り返ると、こういった他者との関わりが、大きく道を広げてくれました。そして、まだ見た事のない「自分以外の何か」に出会う為に。もう一度初心に返り、ひたすら手を動かして、その後で検証する。このプロセスを大事にしようと思っています。